森と庭の管理人(仮称)

副理事長.森と庭を管理する。

【なぜ森林美学だったのか】

よく森林美学について調べています,というと,多くの人は

林学を先行しておいて,なぜスギ・ヒノキの山に関して研究しないのか,

と言うご質問を受けます。たまにはお叱りも受けます。

私は幼少の頃,ベルギーというヨーロッパの小国で,

小学校2〜5年生までを過ごしました。

住んでいたのは,ブリュッセル市エクセル地区と言う場所でして,

家を出てから2ブロックほどで,カンブルの森(Bois de la cambre)があり,

週末のほとんどの時間を,この森の中で過ごしていました。

西欧,殊にこの国は,晩秋から春先にかけてのほとんどの日数がどんより曇り,

緯度も高く,大変寒冷な地域なのですが,その反動のように,

5月から10月の中旬までは,信じられないほど森林が美しく,

小学生の私は,父親から自転車を買ってもらい,週末のたびに

林内の散策路を,あちこち探検して過ごしていました。

この森の美しさは格別でしたが,ここは同時に木材生産の場でもあったことは,

のちに社会人から大学院に再入学し,研究に携わってから知りました。

私の中で森林といえば,この森林を想起させます。

 

森林美学との出会いは,このカンブルの森のような森づくりが,

なぜ日本では定着しないのかという疑問に端を発し,

林業と森林レクリエーションの歴史を紐解いた所から始まりました。

我が国では戦前は,列強に対抗する国力増強,そして戦後は戦後復興のため,

林業が多大なる貢献をしてきたことを知り,

まず山は,林業のために存在せざるをえなかった事情を知ることができました。

そして今,放置林問題を払拭すべく,新しい森林管理が林業政策に取り入れられ,

少し以前よりもいや増して,産業重視政策をとることとなります。

しかし一方で,

市民の森林(樹林でもいいです)への保健休養の場としての期待も

戦後,市民のレクリエーション文化の成熟とともに増大しているのも事実です。

この二つは,場所によっては必ずしも乖離しなくてもいいのではないか,

そのような考えを大学院入学直後,ゼミで話をしたところ,

恩師から戦前の新島善直先生の「森林美学」のコピーを読ませていただきました。

この本は読みづらく,当時の私には非常に難解であったのですが,

この本の周辺について様々に調べた結果,

森林所有者の経済的メリットのみが重要なのか,森林は公共財ではないのか

という深遠なるテーマで,19世紀におけるドイツ林学会で議論がなされたこと,

我が国では林学の導入と同時にこのテーマ自体が,明治期に導入されたこと,

さらにはこの本に関わった一部の林学者が,市民のために開かれた森林を目指し,

あの手この手で,保健休養の場ともなりうる,

美しい森林を根付かせようとしたことを知ったのです。

この本に関わった研究者のほとんどが,林学者であったため,

森林への木材供給機能を諦めずに,美しい森林を作ることを夢みたと思います。

この夢は,現在に至るまで連綿と継続していると考えます。

私はただ,この先人の方々を後ろから追いかけて,

微力な貢献をしたいと考えているのにすぎないのです。

 

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写真はカンブルの森(wikiから引用)。冬はこの湖が分厚い氷に閉ざされます。

しかし,やがて訪れる春の美しさは格別でした。

 

参照:清水裕子, 伊藤精晤, 川崎圭造 戦前における「森林美学」から「風致施業」への展開(平成18年度日本造園学会全国大会研究発表論文集(24)) ランドスケープ研究 69(5), 395-400, 2006