【造園家の目を持った林業家たれ】
一応,大きな校正作業は終わったものの,
このギリギリになっていろいろ見つかったので,その修正をしていた。
読み直すと,ぎこちない日本語文となっている部分もあるため,
少し,解説できればいいなあと思っている。そのためにも,また勉強(汗
蛇足だが,昨年の手術が今ごろロウブロウのように,効いてきているようで,
先日病院へ担ぎ込まれ,点滴打って検査入院。なんだかなんだかである。
◆
本文中,「造園家の目を持った林業家たれ」というような内容の一文あり。
森林風致とは,きっとこういうことなんだろうなあと思って読んでいた。
人間の保健休養のために自然を人間本位に操ることではなく,
林業経営目的以外に少しだけ,林木の自由な生育の担保のために,
コストを投下しましょうと書いてある。
林木個々が,順当に成長している姿こそが美しいという前提に立っている。
一例を挙げれば,収穫量最多伐期齢に達したからといって,短期で伐採しないで,
少し思慮を巡らせて,林内に少し老木を残しましょうなど。
老木が森林に存在する効用を,観光地や住宅地の環境を豊かにし,
当時でも地価が上がっていた「現実」を述べ,美観を重視した考えでもあるけれども,
その他,本文中随所に,森林動物の住処のために,とも記載してある。
森林動物の存在と森の豊かさの関係にも言及している。
(もっとも今の日本でこれを口に出すと怒られそうなのだが,
一般論として捉えて欲しい)
森林の豊かさは,とりもなおさず林木の成長にも関連する。
本書は300ページにわたって,林業のためのあらゆる営為に関し,林業家たちに
行きすぎた経営重視は,実は別のところで損失をしているのではないかと
思慮を巡らせることを喚起している。
美と功利の調和は,美的な配慮と森林経営,林木生理との折合いについて,
様々な提案や工夫が書かれている。こうした独特の技術に基づいて,
自身の所有林で実際に造林されたことがまず,当時としては新しかったのだと思う。
(現代でも珍しいと思うが)
◆
先日発刊された村尾行一氏の「森林業」によれば,
エルンスト・ヘッケルによって「生態学」という言葉が作られ,
それがひとつの学問体系になるのは森林美学初版から半世紀ほど後のようで,
そんな時代に,現代の生態学的な成果にも合理な美しさを主張したザーリッシュの,
自然への深い観察に何度も驚いたものだ。
後年,「恒続林思想」でメーラーが方法論としての森林美学の妥当性を
述べているのも興味深く,かつ納得できることが多い。
つい,長くなってしまった。この辺りは,またいずれ。
書きたいことは多いのだが,まだ整理されていないよう。
あー,しかし造園家の目を持った林業家かぁ… 頑張ります(汗